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東京高等裁判所 平成6年(ラ)995号 決定

抗告人

甲野一郎

代理人弁護士

飯野信昭

相手方

甲野二郎

代理人弁護士

金子健一郎

被相続人

亡甲野春男

主文

1  本件抗告を棄却する。

2  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一  抗告の趣旨

千葉家庭裁判所八日市場支部が、同庁平成六年(家)第四一号遺産分割申立事件につき、平成六年八月一六日にした申立却下の審判を取り消し、本件を千葉家庭裁判所八日市場支部に差し戻す。

第二  当事者双方の主張

(抗告人の主張)

原審判は、抗告人による相続放棄の事実がなかったとまで認定することは困難であるとしているが、これは事実を誤認したものであって、抗告人作成名義の被相続人甲野春男についての相続放棄申述書は、偽造されたものである。右申述書に記載されている抗告人の署名は抗告人のものではなく、名下の印影も抗告人の印鑑によるものではない。また、抗告人は他人に抗告人名義の署名、押印をすることの承諾を与えたこともない。

相手方は、相続回復請求権の時効を援用するが、亡A司法書士に抗告人の名をかたって相続放棄の手続を委任したのは相手方であり、相手方は相続放棄は無効で抗告人が相続権を失っていないことを知っていた。したがって相続回復請求権の時効に関する民法八八四条の適用は排除され、時効は完成していない。

仮に、相手方が遺産の一部につき抗告人の相続権を侵害しているとしても、未だ分割が実行されていない不動産、あるいは、抗告人の調停申立ての時かち遡ること二〇年以内に、相手方が抗告人の相続権を侵害した遺産もあるのであるから、この範囲においては民法八八四条の適用はあり得ない。

(相手方の主張)

相手方としては、抗告人の相続放棄の申述は同人自身がした有効なものであると主張するが、申述後三九年を経た今日、その点の確証が得られないとしても、相続回復請求権の二〇年の時効を援用する。すなわち、相手方は上記抗告人の相続放棄が受理された後、被相続人の遺産である田畑山林等につき抗告人の相続権が存在しないものとして、これを占有管理してきた。ところが抗告人は、被相続人の死亡後三九年を経た平成五年一二月二一日に本件遺産分割調停の申立書を裁判所に提出したものである。この申立書は抗告人が遺産分割請求の資格を有するとの確定を求める趣旨を含むものであるが、これは即ち相続回復請求に該当するものであるから、民法八八四条の相続回復請求権の時効規定の適用があるものである。抗告人は、相手方が相続放棄書を偽造したもので、相手方はその無効であること、すなわち抗告人の相続権が消滅していないことを知っていたから民法八八四条の適用は排除されると主張するが、この主張事実を否認する。

第三  当裁判所の判断

1  記録によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  被相続人は、昭和二九年四月五日死亡した。同人の相続人は、妻甲野はる、二男甲野秋男の長女甲野夏子、三男乙山三郎、四男抗告人、五男相手方の五人であった。

(2)  抗告人、甲野夏子及び乙山三郎の三名の相続人について、昭和二九年七月五日付で相続放棄申述書が千葉家庭裁判所八日市場支部に提出され、同年七月二〇日上記相続放棄申述書が受理された。

(3)  相手方は、上記の相続放棄により抗告人ら三名の相続権が消滅したとして、被相続人の遺産である田畑山林等を占有管理してきており、そのうち一部の不動産については、昭和三四年、四一年、六一年及び平成元年に、相手方名義の単独相続登記が行われた。

(4)  昭和四五年に抗告人が旭信用金庫から三〇〇万円を借用した際、相手方は、抗告人の依頼により相手方名義で単独相続の登記をした不動産について、上記信用金庫のため抵当権を設定した。

(5)  抗告人は、平成五年一二月二一日千葉家庭裁判所八日市場支部に本件遺産分割調停の申立書を提出した。

2 上記の事実によれば、共同相続人の一人である相手方は、相続財産のうち自己の本来の相続持分を超える部分につき、他の共同相続人である抗告人の相続権を否定し、その部分もまた自己の相続持分に属するとしてこれを占有管理してきたもので、抗告人がその相続権が侵害されているとして、その侵害の排除を求める場合には、民法八八四条の適用があるものといわねばならない(最高裁昭和五三年一二月二〇日大法廷判決民集三二巻九号一六七四頁)。そして、抗告人がした本件遺産分割調停の申立ては、上記の相続放棄の無効を主張して、今なお相続権が消滅していないとの前提に立つものであるから、民法八八四条の相続回復の請求に当たるものである。そうすると、相手方が上記相続放棄が無効で抗告人が相続権を失っていないことを知っている場合には、上記民法八八四条の適用が排除され、抗告人は相続権が消滅していないことを主張して、遺産分割の申立てをすることができるが、そのような事実が立証されないときには、抗告人は相続回復請求権を時効により失い、今なお相続権が消滅していないことを前提とする遺産分割の申立てをすることはできないこととなる。

3 そこで、相手方が上記の相続放棄が無効で抗告人が相続権を失っていないことを知っていたかどうかを検討すると、本件の全ての証拠を検討しても、相手方が上記の相続放棄書を偽造したとか、あるいは抗告人の意思に基づかずに放棄書が作成されたとの事実は認められず、また、相手方が上記の相続放棄が無効であることを知っていたと認めるべき証拠もない。

4 そうすると、抗告人は相続回復請求権を相続開始後二〇年の時効により失ったものといわねばならず、したがって、本件遺産分割の申立ては相続権のない者がしたものとして、却下を免れない。

なお、抗告人は、未だ分割が実行されていない不動産があるとか、本件遺産分割調停の申立てを遡ること二〇年以内に相手方が相続権を侵害した遺産もあると主張するが、前記認定のとおり、相手方は、相続放棄の直後から遺産である田畑山林等につき、抗告人の相続権が存在しないものとして、占有管理していたものと認められるので、この点に関する抗告人の主張は採用できない。

5  したがって、本件遺産分割の申立てを却下した原審判は、その結論において相当であり、本件抗告は理由のないものである。

よって、本件抗告を棄却し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官淺生重機 裁判官田中壯太 裁判官杉山正士)

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